続いてもカレーライスの話。
例えば、その味を主張していない喫茶店とか子供相手の家のカレーライスに、おやじ、おばさん、結構若い子も多いのだが、食べる前にいきなり中濃(ウスター)ソースをかける「みっともない」ヤカラがまだいる。これも習慣の一種で、いまだおいしいカレーライスとは無縁の不幸な連中のなす業だ。特に日本そばやで、初めて食った小麦粉そば粉たっぷりのカレーライス、うまいというより懐かしさを感じるこのカレーを食っていた世代は、何か物足りずにソースをかけていた。
小学生の頃、夕方銭湯の帰り、夕飯前のおやつとして、「肉の松屋」(ただの町のお肉屋さん)で、揚げ立て1個5円のカレーコロッケを食べるのが、日課となっていた。この上なくおいしく、ぼくはいまだに最高の味だったと思っている。受け渡しのカウンターの上には、ブルドック・ソースが置かれて勝手にかける仕組みであったが、ぼくは一回もそれを使うことはなかった。必要がなかったのだ。そのままですごくおいしかった。ソースをかけたら、おいしくなくなるとさえ思っていた(ソースは大好きなのだが)。
ここで、お風呂に一緒にいった弟や近所の友達にも、ソースをかけないで食べろ、と声を大きくして主張していたものだから、だんだんとそこでコロッケを買う連中がソースを使わなくなっていった。
ある日、肉屋の息子で同級生の木村くんが、「お兄さん(コロッケを揚げている人)が、とっても喜んでいるよ。そのまま食べるのがおいしいなんて言う人、いなかったみたい」と話してくれた(ちょい自慢みたいになってごめんなさい)。
話はカレーライスに戻ります。何を言いたいかというと、ぼくはグルメでも味の専門家でもないが、まずはそのまま食べてみましょう、ということ。それでおいしいのか、味が足りないのかを判断しましょう。味見をせず、勝手にソースをかけてしまうのは何かもどかしい気がする。作った人に対してではなく、自分に対して、だ。
ソースとか醤油とか、特に塩、胡椒などの調味料は万能なのである。それは認めます。使わざるを得ない事態はどこかしら生じることは間違いない。でも、勝手に判押すことは考えてみるべきである。
最近のカレー専門店では特製ソースみたいのがカウンターに置いてあるのが、とても気になる。自信のなさの象徴だ。「出したもの、そのまま食ってみろ!」なんて、主張してない。そんなにソースをかけたらうまくなるのなら、出す前に入れて、最高と思うものを出したらいいのに、とぼくは考えるのだが。ソースには、リンゴやトマトやブドウなどたくさんの果実野菜が豊富に入っていて、ぼくは自宅で作る時は、必ず使用している。ちなみに醤油、タバスコなんかも隠し味に最適だ。
「みっともない」話じゃないけれど、ソースに関して気になるのは、おいしい「とんかつ」屋さんだ。みんな、甘口、辛口ソースを揚げ立てのとんかつにどっぷりかけてから、食べている。挙句の果ては、となりのキャベツの千切りにも同様にたっぷりかけている。そんなにソースが好きなら、白ご飯にかけんかい。
と書いたところで、関西を代表する食べ物「たこやき」と「お好み焼き」が、気になり始めた。
次回にて。
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