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2008年4月22日 (火)

みっともない!! 111

そして、とうとう誰もいなくなった。
それは東京・埼京線板橋駅前にある五階建て九棟からなるアパートの住人たちのことである。
電車が停車するとホームと反対側に位置するその建物は、およそ45年前に立てられた旧国鉄の社宅アパートだ。
赤羽育ちのぼくは、赤羽を離れた今でも埼京線をたまにではあるが利用することがあり、通るたびにそこを眺めていた。
その昔、国鉄の官舎は赤羽と十条の中間、現在の清水坂公園にあり、昭和戦前の名残りを留めた平屋で焦げ茶色の木造長屋だった。あちこち朽ちかけた家の間取りは、小さな玄関と台所、便所、六畳と四畳半の二間、それに縁側の付いた小さな庭。どの所帯も全く同じ間取りの上、テレビやタンスのようなメイン家具は全く同じに配置されていたのはそこにしか置けぬ狭さのためだった。
ぼくはそこに隣接していた小学校に通っていた。この官舎から通う友達は大勢いた。
卒業が近くなった頃、板橋に新官舎なるアパートが建設され、官舎の子たちはみんなこれから移り住む新しい家を自慢し、希望に胸を膨らませていた。ぼくらが卒業した後も、数所帯ずつ移住は続けられていた。
ぼくらの小学校の生徒たちは2つの区立中学へ分かれて進学することになり、官舎の子たちはぼくと別の中学に進んでいった。
それから数年後、官舎の子たちが行った中学校は廃校になったと聞いた。

東京では国鉄がJR東日本として生まれ変わった年を境に、電車から見える板橋のJRアパートの様子が少しずつ変貌していった。どこのベランダにも干されていた洗濯物や布団がひとつ、またひとつ消えていった。新聞やTVニュースで知らされていた、民営化による人員整理のせいであることは察しがついた。
しかし、干し物が減っていく光景はいつまでもいつまでも続いていた。そして残りはもう僅か数所帯と気付いたのは、三年前のことだった。
そして去年の暮れ、実家に戻る時に眺めたそのアパートには、一枚の布団も洗濯物もなかった。
誕生日会を開いてくれた片山くん、大柄で元気な姉御肌の阿久津さん、病弱で色白美人の河野さん・・・たちは元気なのだろうか。
年をとってから参加し始めたクラス会には官舎の子たちは全くいない。消息を尋ねても誰も知らない。
やがて、あの場所には大きな高層マンションでも立つのだろう。
思い出というものは記憶の中にあるけれど、いつも気楽に引き出せるものではない。
何かのきっかけ、あるいは思い出す“もの”が必要だ。
そういうものがどこかで確実に消されていく、ぼくたちの知らないどこかで。
これでもう彼らのことを思い出すことはないのかもしれない、と思うと、
人の記憶というものは、死ぬための準備だということがよくわかる。

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コメント

 私も十条の清水小出身で、官舎の子が各クラスに数人はおりましたね。 板橋に移ってた事は貴兄のブログで初めて知りました。 当時、みんな引っ越した後ゴーストタウンとなった官舎跡の立ち入り禁止区域でたまに遊んでましたがは、朽ち果てた木造社屋の中にはふとんやおなべが転がっており、子供ながらに哀愁を感じました。 確か清水坂公園側だけでなく、赤羽線の反対側の八幡山の下にも木造長屋がありましたね(今は既に2代目の鉄筋)。 その周辺で柔道一直線や河童の三平のロケもよく行われていました。

投稿: 猫OG | 2008年12月 8日 (月) 00時46分

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