みっともない!! 081
TBSの阿久悠追悼番組を見た。
ぼくは歌詞をじっくりと吟味したことはないが、番組中西城秀樹が「作詞家というより、作家で(歌手であるぼくに)その物語を考えさせる宿題をもらっていたような感じだった」と語ったのが、その後見ていて納得がいった。思い出深い歌ばかりだった。
”着てはもらえぬセーターを”の歌詞では、なんでそんなもん編むんかい、という人生幸路の漫才を思い出してしまったが、この「北の宿」が自殺の歌だと初めてわかった。
番組中のほとんどの歌のドラマはそれなりに解釈できたが、ひとつだけ、ぼくにとっては不可解な歌があった。それは八代亜紀の雨雨降れ降れ、もっと降れの「雨の慕情」だ。
番組での1番2番を聞く限り、その物語は思い描けなかった。男と女の情景は見えるが関係が見えない。昔暮らした恋しい男には曇りの日と雨の日には会えるのか。死んでいるのか。そのあたりが詩からは不明なのだ。阿久悠のことだ、絶対に裏があるはずだと思う。
合掌。
| 固定リンク


コメント
「雨の慕情」は、雨雨降れ降れ母さんが蛇の目でお迎え嬉しいの、大人の女版ではないでしょうか。
雨が降って、傘がない(井上陽水か!?)。たとえば、雨は人を引きつける。とりわけ傘がないときには。
「雨の慕情」では、女は昔、苦労させられた男を、雨の日、ふと想い出す。膝枕が好きだった男、いい気になってタバコをスパスパやりながら。この男はヒモみたいな男だった。女はトーゼン、水商売。雨がお客を呼んできた。あの夜も、男は雨宿りで、店を訪れた。雨がとりもつ縁。ま、すぐに
ねんごろとなり、同棲がはじまる。男は根からのぐうたら男、雨が降ると家でグダグダ状態。ピーカンになれると、いつの間にか、切れた凧状態で彷徨し、帰らない。彼を待って、手料理もおぼえた。でも、いつも手料理は手つかずのまま。女はただ、お膳の手料理を虚しくみつめ、捨ててしまう。
女はそんなヒモ男に、何度愛想をつかしたことか。でも、男は女を手玉にとる名手。ニクイと思いながら、許してしまう。体が反応してしまう。男は加藤鷹か。女の体を知り尽くしている。
この腐れ縁の関係。熟女ゆえの、逡巡。
てことで、
雨はある種の願いのメタファーであります。雨乞いにも似た思いで、男を待つ。慕情とは、なつかしく思うココロ。
ま、いい加減な思いつき、雨の如く、(聞き)流してね。お粗末さま。
投稿: 目玉おやじ | 2007年9月14日 (金) 20時43分